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大分地方裁判所 昭和59年(わ)507号 決定 1987年3月05日

少年 G・H(昭42.6.20生)

主文

本件を大分家庭裁判所に移送する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、大分市○○町×番×号○○ビル××号室に姉と共に居住し、同市内の県立高校に通学する高校生であつたが

第一昭和59年10月27日午前7時30分ころ、登校すべく自宅を出たものの、途中頭痛がひどくなるなどしたため学校を休むことにして帰宅し、自室で仮眠して同日午前9時30分ころ目を覚ましたところ、依然として頭痛が治まらないことから○○の貯木場まで散歩し、木でも削って気晴らししようと思い、木を削るための肥後ナイフ(刃体の長さ約7センチメートル。昭和60年押第25号の1)を着用したジーパンの右後ろポケツトに入れて自宅を出たものの、途中頭が重く感じられたことなどから、右貯木場に行くのはやめて帰宅しようと考え、来たのと異なる道順で自宅に引き返すうちに、ゲームセンターで思い切り遊んで気分を晴らそうと思つたが、小遣いに余裕がなかつたためゲーム代をどうするか考えているうち、留守宅に侵入して金員を窃取しようと思い至り、通りすがりの付近の人家の様子を窺いながら盗みに入る適当な居宅を探しているうち、同市○○×丁目×番×号所在のA方前路上に至つた際、同人方の外観から留守だと思い同人方に盗みに入ることにした。被告人は、右A方敷地内に入り、勝手口などから侵入しようとしたができず、同人方東側の門扉付近から見た同人方2階の窓の様子などから再び同人方は留守であると判断し、同日午前9時55分ころ、同人方玄関ドアの施綻の有無を確かめるべく右玄関先に赴くや、屋内から「ガチャン」という電話の受話器を置く音が聞こえたため、留守であると思つていたのに家人がいることがわかつて驚きのあまりその場に立ちすくんでいたところ、突然右玄関ドアが内側から開いて、屋内から身を乗り出してきた右A方の妻B子(当時45歳)から「あんた誰」と言われて狼狽し、同女に謝ろうとしたものの声も出せずに黙つていると、同女から「あんた泥棒ね」と詰問されたことから、同女に詰問されている状況を第三者に見聞されることを恐れて、とつさに、まず同女に静かにしてもらい、そのうえで謝ろうと考え、右手で同女の右肩を押して右玄関土間に入り、左手で右玄関のドアを閉めた後、同女に対し「静かにして下さい。どうもすみませんでした。」と謝つたものの、被告人の行動に驚いた同女から「あんた泥棒ね。こんなことするのはよしなさい。警察を呼ぶわよ。」と何度も大声で言われたため、父親が○○県警察本部に勤務していたこともあつて強い衝撃を受け、何とかして同女を静かにさせようとして同女の両肩付近を両手で掴んで玄関土間から同女方廊下に靴履きのまま上がり込み、同女に対し「すみません。静かにして下さい。」などと頼んだものの、同女は前同様の言葉を何度も繰り返しながら廊下上を後ずさりして行つたため、これを追うようにして同女の肩を掴んだまま前同様の言葉を発しながら右廊下上を奥(西側)に進んで行つたところ、同女が右廊下西側の洗面所付近でよろけて仰向けに転倒したため、同女に続いて同女の上に折り重なるようにして前のめりに転倒し、身体を起こして同女の膝の上に馬乗りの姿勢になつたとき、先に上半身を起こしていた同女が、被告人着用のジーパンの後ろポケツトに入れていた前記ナイフを両手に持ち、被告人の胸付近に向けて構えながら「泥棒なんかに殺されてたまるか。反対にあんたを殺してやる。」と大声で言つたことから、同女から右ナイフを取り上げようとして同女と揉み合つた挙句右手で右ナイフを奪い取つたが、被告人から逃れようとして暴れる同女を取り押えようとして両手を同女に向けて動かした際、右手に持つた右ナイフが同女の左背部に突き刺さり、同女が非鳴を上げたことに逆上し、とつさに殺意をもつて、無我夢中で同女の左背部、左胸部などを十数回突き刺したうえ、左手で同女の頸部を絞め付け、更に右手で付近にあつたビール瓶を持つて同女の左前頭部を殴打するなどし、よつて、そのころ、同所において、同女を左肺損傷による失血及び扼頸による急性窒息により死亡させて殺害した

第二同日午前10時過ぎころ、右A方において、同人及びB子所有の現金約2万6000円、商品券11枚(額面合計5500円)、定期預金証書など預貯金証書21通(預金高合計505万3690円)、印鑑、財布、セカンドバツグなど44点(時価合計5万3800円相当)を窃取した

ものである。

以上の各事実は、当公判廷において取り調べた各証拠によつて認めることができる。

(強盗殺人の訴因に対して殺人と窃盗の併合罪と認定した理由)

一  本件強盗殺人の公訴事実の要旨は、「被告人は、金品窃取の目的で、昭和59年10月27日午前9時55分ころ、前記A方に侵入しようとして同人方玄関先に至つたところ、玄関内に居合わせた同人の妻B子(当45年)に発見されるや、強いて同女から金品を奪取しようと企図し、同玄関から屋内に押し入り、同女を1階洗面所付近の床上に押し倒し、所携の前記ナイフを同女の顔面に突きつけるなどの暴行、脅迫を加えたところ、同女から「泥棒なんかに殺されてたまるか。」などと言われて抵抗されたことから、金品を奪取するため同女を殺害しようと決意し、左手で同女の頸部を絞め付けながら右手に持つた右ナイフで同女の左背部、左胸部などを十数回突き刺し、更に、付近にあつたビール瓶で同女の左前頭部を殴打するなどし、そのころ、同所において、同女を左肺損傷による失血及び扼頸による急性窒息により死亡させて殺害したうえ、その場で同女並びに右A所有の現金約2万6000円、商品券11枚、預貯金証書21通、印鑑、財布など44点(時価合計5万3800円相当)を強取したものである。」というのである。

二  これに対し、弁護人らは、本件は殺人と窃盗の併合罪である旨主張し、被告人も、当公判廷において、被害者に静かにしてもらつたうえで同女に謝ろうと考え、同女方に上がり込み、同女と揉み合つているうちに右手に持つていたナイフを誤つて同女の身体に突き刺したため、同女が悲鳴を上げたことから逆上して無我夢中で右ナイフで同女の身体を何回も突き刺すなどして同女を殺害し、その後金品を窃取したものであつて、強盗の意思はもとより同女を殺害したうえ金品を強取する意思もなかつた旨供述している。

三  当裁判所は、取り調べた証拠を検討した結果、本件を殺人と窃盗の併合罪として認定したので、以下、その理由を説明することとする。

1  被告人の捜査官に対する各供述調書及び被告人の当公判廷における供述(いずれも、その信用性に争いのある部分を除く。)等の関係各証拠によれば、次の事実は争いなく認めることができる。

(一) 被告人は、本件犯行当日の朝、登校するため自宅を出たものの、頭痛が治まらないことから気晴しのため散歩に出ることにし、ジーパンの後ポケツトに木を削るためのナイフを入れて自宅を出たが途中頭が重く感じられたことなどから帰宅することにして引き返すうち、ゲームセンターで思い切り遊んで気分を晴らそうと思つたものの小遣いに余裕がなかつたためゲーム代をどうするか考えるうち、金員を窃取することを思い至り、盗みに入る適当な居宅を探しているうちにA方前路上に至り、同人方の外からの様子から留守と考えて同人方に盗みに入ることにしたこと。

(二) 被告人が、同人方玄関から侵入できるか、玄関ドアの施綻の有無を確かめるため、玄関先に赴くと、屋内からいきなり「ガチャン」と電話の受話器を置く音がしたことに驚きその場に立ちすくんだところ、続いて玄関ドアが開いて、被害者が身を乗り出してきて、「あんた誰。」と同女から誰何されて狼狽し、謝ろうと思つたものの、声も出せずに黙つていたこと。

(三) 被告人は、同女から「あんた泥棒ね。」と詰問されたため、同女方玄関土間に入つて右玄関ドアを閉めた後、被害者に対し「静かにして下さい。」などと言つたが、同女から「あんた泥棒ね。警察呼ぶわよ。」などと言われたことから、靴履きのまま同女方廊下に上がり込み、同女の両肩付近を両手で掴んだ状態で同女と共に右廊下の奥の方に至り、同女が洗面所付近でよろけて倒れたこと。

(四) その直後、被告人は、本件ナイフで同女の左背部等を突き刺し、左手でその首を絞め付け、更にそばにあつたビール瓶でその顔面を殴打するなどして同女を殺害したこと。

(五) 被告人は、同女の血まみれの顔を洗うため、同女を抱き抱えてA方風呂場に行つたものの、誤つて同女を浴槽に落としてしまい、恐ろしくなつて勝手口から逃走しようとしたが、着用していたトレーナーに返り血が付着していることに気付き、このままでは人目について怪まれると思い、A方に入つて服を着替えようと考えて引き返し、一階座敷において、まず小物入れの引き出しを物色し、その中から印鑑ケース2個を取り出して畳の上に置き、更に本棚や洋服ダンスの引き出しを開けて物色するなどした後、2階の寝室に行つて物色したものの、着替え用の衣類が見つからなかつたため、1階に降りて右廊下の壁に掛かつていたジャンパーを見つけてこれに着替え、血痕の付着したトレーナーは脱いでそばにあつた紙袋に入れ、続いて右1階座敷に赴いて右印鑑ケースを右紙袋に入れ、更に台所においてテーブル上に置いてあつた現金約2万2000円、定期預金証書等の在中するセカンドバツグ、現金約3000円の在中する財布を右紙袋に入れてA方から自宅に逃げ帰つたこと。

2  ところで、以上の認定事実のとおりの一連の経過によれば、本件公訴事実のとおり、被告人が金員強取の目的で被害者方に上がり込み、同女を殺害したうえ、金品を強取したものとの推認が働く余地がないとはいえないであろう。そして、被告人の検察官に対する昭和59年11月7日付、同月15日付(2通)及び司法警察官に対する同月5日付、同月10日付各供述調書によると、「被告人は、被害者から玄関で『あんた誰。』と言われて、謝ろうと思つたものの驚愕のあまり声を出せずにいたところ、同女から『あんた泥棒ね』と詰問されて、盗みに入ろうとしたことが同女に発覚したものと思い同女に謝る気持ちをなくしてしまい、ゲームセンターで遊ぶ金が欲しかつたので発覚したのなら同女を脅してでも、力ずくでねじ伏せたり殴り倒したりしてでも同女から金を奪おうと決めた。そう決めると、右手で同女の右肩を掴んで同女を押しながら右玄関内に入り、左手で右玄関ドアを閉めた後、両手で同女の両肩の付け根を掴んで同女に対し『静かにして下さい。』と言つたが、同女が大声で『あんたやつぱり泥棒ね。こんなことはやめなさい。警察を呼ぶわよ。』と言つて騒いだ。そこで、他人に聞かれたら大変だと思い、被害者の両肩の付け根を掴んだまま土足で同女方廊下に上がり込み、両足を踏ん張つて抵抗する同女を右廊下の奥の方に『静かにして下さい。』と言いながら押して行つたところ、同女が洗面所の板の間付近でよろけたので同女をその場に押し倒した。倒れた被害者の右横に右膝を付いて中腰の姿勢になつて両手で同女の両肩付近を押えつけながら同女に対し『静かにして下さい。』と言つたが、同女は両足をバタつかせて起き上がろうとするなどして抵抗し、更に、大声で『泥棒。警察を呼ぶよ。』などと何回も言つて騒ぐので、着用していたジーパンの右後ろポケツトに入れていた肥後ナイフを同女に突き付けて脅したうえ静かにさせようと考え、左手で同女の胸付近を押え、右手で右ポケツトから右ナイフを取り出して順手に握り、そのナイフの刃先を同女の顔に近づけた途端、同女は両手で被告人の右ナイフを握つていた右手首付近を掴んで『泥棒なんかに殺されてたまるか。反対にあんたを。』と言いながらその右肩を床に付け左肩を浮かせ身体を被告人の方にねじ向けて右ナイフを被告人の方に近づけた。それで頭にカツときて、こんな気の強い人をいくらナイフで脅しても、いくら殴り倒しても金を取ることはできないので、いつそのこと同女を殺して金を奪おうと決意し、右手を2回程上に振り上げて同女の両手を振り払い、左手で同女の首を思い切り握り絞め、同女の上に覆いかぶさるようにして右手に順手に持つた右ナイフで同女の背中を思い切つて一突きし、その後は無我夢中で同女の左側の背中、左胸付近を何回も何回も突き刺した。そして、右ナイフを同女の身体から抜いて右手を後ろに引いたとき、右ナイフが右手から滑り落ちてしまい、そばにあつたビール瓶を右手に持つて同女の頭を力一杯殴りつけた。」との記載が存するところであり、被告人の右各供述調書は、以上の認定事実とよく符合するものとして、右供述調書の信用性を肯認すべきもののように考えられる。

しかしながら、被告人は、当公判廷において、強盗の犯意を含め捜査官に対する供述調書の内容の一部について、虚偽の供述をしたとして、次のとおり供述するに至つた。すなわち、被害者を殺害した動機、その際の状況について、被告人は、屋内から身を乗り出してきた被害者から「あんた誰。」と言われて黙つていたところ、直ぐに「あんた泥棒ね。」と言われたため、どうしたらよいかわからなくなり、県警本部に勤務する父親と教師をしている母親のことが直ぐに思い浮かび、他人に見つかつたら大変だと思い、被害者にまず静かにしてもらつて謝ろうと考え、同女の身体を押して右玄関土間に入り右玄関ドアを閉めて、同女に対し「静かにして下さい。すみませんでした。」と謝つたが、同女から「あんた泥棒ね。警察呼ぶわよ。」と言われたことに衝撃を受け、とにかく謝ろうと考え、右玄関土間から同女方廊下に上がり込み、前記犯罪事実において認定したような経過をたどつて風呂場の近くの床の上に同女が何かにつまずくような感じで仰向けに倒れたため、これに連られて同女の上に折り重なるようにして倒れてしまつた。転倒した同女は、被告人を押しのけようとして手足をバタつかせて暴れ、被告人の右横から出て起き上がろうとした。被告人が上半身を起こし被害者の膝の上に馬乗りの姿勢になつたところ、先にその上半身を起こしていた同女が被告人のジーパンの右後ろポケツトに入れていたナイフを両手で握つて被告人に突き付けながら「あんたなんか泥棒に殺されてたまるか。反対にあんたを殺してやる。」と言つたので、「ハツ」と思つて右手で同女の両手と右ナイフの中間あたりを掴み、更に左手を同女の両手に添えて、そのナイフを取り上げようとして揉み合い、その際右ナイフの刃の部分を握つたため右手の平と指2箇所を負傷した。被告人は、被害者から右ナイフを取り上げたものの、同女が暴れたので、それをやめさせるため同女を掴もうとして同女と揉み合つているときに右ナイフが同女の左の背中に刺さつた。その後は無我夢中で同女を刺したと思う。暫くしてビール瓶の「パーン」と割れる音で「ハツ」と気がついたときに、左手で同女の首を強く絞め付けていた旨供述し、捜査官に対してこれと異なる供述をしたのは、捜査官にひどく叱られ、自分でも何もかも自分が悪いと思い、それなら何もかも自分が悪いように言い直そうと決めたからである、というのである。

そこで、まず被告人が強盗ないし強盗殺人の犯意を認める右各供述調書の信用性について検討すると、これらの調書の内容には、次に述べるような問題点がある。

(一) 被告人の両手には、(イ)右手掌の小指球部に左右の斜め方向に長さ3センチメートル、幅約0.5センチメートルの傷、(ロ)右手掌中央部に左右ほぼ水平方向に長さ約0.8センチメートル、幅僅少の傷、(ハ)右手甲部の示指下部に長さ約0.7センチメートル、幅僅少の傷、小指下部に長さ約0.2センチメートル、幅僅少の2個の傷、(ニ)右手小指先端部に左右水平方向に長さ約1.1センチメートル、幅約0.2センチメートルの傷、(ホ)右手示指の末指節間関節部に左右斜め方向に長さ約1.5センチメートルの傷、(ヘ)右手拇指頭部にそれぞれ縦方向に、左から順に長さ約1.8センチメートル、幅僅少の傷、長さ約1.6センチメートル、幅約0.2センチメートルの傷、(ト)左手甲の中指と環指との間の付け根部に長さ約0.5センチメートル、幅僅少の傷、(チ)左手環指先端部に長さ約0.7センチメートル、幅0.1センチメートルの傷がそれぞれ存することが明らかであるところ(司法警察員作成の身体検査調書)、これらの傷について、被告人は、捜査段階においては一貫して、「(イ)、(ニ)、(ホ)の各傷はいずれも、本件犯行前日である昭和59年10月26日の野球部の練習終了後、野球部室の前でスパイクシユーズを脱ごうとしたとき、つまずいて右手をスパイクシユーズで踏んでしまい、スパイクの刃で切つたものである。」旨供述していたが、当公判廷において右供述を翻して、「右3個の傷は前記のとおり被害者が先に構えたナイフを取り上げようとして揉み合つたときにできたものである」旨供述したうえ、当裁判所の実施した検証において「被害者はその刃先を上に向けてナイフを両手で握りしめて被告人の胸の方に向けた。」旨説明している(当裁判所の検証調書)。そこで、右3個の傷の成因について検討すると、鑑定人C及び同D作成の各鑑定書並びに右両名の各証言によれば、被告人の右手に存する右3個の傷は、本件犯行に使用されたナイフによつて形成され得るが、被告人が犯行前日に使用していたスパイクシユーズの刃によつては形成され得ないこと、また、証人E及びFに対する当裁判所の各尋問調書によれば、被告人と同じ高校の野球部に在籍していた右E及びFの両名は、本件犯行前日、野球の練習中あるいは練習を終えその夜被告人と一緒に帰宅の途中のいずれにおいても、被告人がその手を負傷していることに気付かなかつたこと、被告人が本件犯行の翌日野球部の練習に参加した際、その手に包帯をしていたことに気付いたことが認められ、これらの事実によれば、被告人の右3個の傷は本件犯行前日スパイクシユーズの刃によつて形成されたものであるとはとうてい認め難いところであるから、右3個の傷につき、被告人が右各供述調書において、スパイクシユーズで負傷した旨供述しているところは虚偽であると断ぜざるを得ず、これらの傷も本件殺人の犯行の際に形成されたものと考えられる。しかして、右D証言及び同人作成の鑑定書によれば右3個の傷のうち(イ)の傷と(ニ)の傷は、被告人が被害者の握つた刃先が上向きになつたナイフの刃の部分を掴んだ場合にほとんど同時に形成され得るのに対し、右の場合とは逆に刃先が上向きのナイフが同女の方に向けられていた場合にも理論上右3個の傷は形成され得るものの、被告人が右ナイフを刃先を上向きにして右手で握り、被害者を刺突した際血糊でその手が滑つたとしても右ナイフの形状等からみて右3個の傷が形成されるのは困難であることが認められ、被告人が捜査官に供述した前記被害者の殺害の方法、態様によつては、右のような傷は形成困難と言うべきであるから、右各供述調書には、右3個の傷の成因についての説明が欠けることになる。したがつて、被告人の右各供述調書中の被害者の殺害方法あるいは態様に関する「被告人は、被害者に掴まれた右手を2回程上に振り上げて同女の両手を振り払い、左手で同女の首を思い切り握り絞め、同女の上に覆いかぶさるようにして右手に順手に持つた右ナイフで同女の背中を思い切つて一突きした。」との記載部分の信用性にも相当な疑問があると言わなければならない。

ところで、被告人の前記各供述調書の記載内容は、すでにみたように、被告人が被害者から誰何されて強取を決意してから、同女を廊下奥で押し倒したうえ、ナイフで脅して静かにさせようとしたが、同女の抵抗にあつたため同女を殺害して金品を奪取するほかないと決意して、右ナイフで同女の左背部等を何回も突き刺すなどして同女を殺害したという経過をたどつているのであり、全体として、被告人の強取の意思に始まる一連の相関連する1個の事態の推移に関するものである。そして、被告人の捜査官に対する前記各供述調書の供述記載のうち、右のとおり被告人の被害者の殺害の方法、態様という犯行態様の中核をなす部分の信用性に合理的な疑いがあれば、特段の事情がない限り、これと密接に関連する爾余の供述の信用性にも重大な疑問が生ずるといわなければならない。

(二) 被告人の捜査官に対する各供述調書の内容をみても、次のような問題点がある。すなわち、被告人は、捜査、公判を通じ一貫して、被害者の両肩付近を両手で掴んだ時点で、同女に対し「静かにして下さい。」と言い、更に同女を廊下の奥に押しながらも「静かにして下さい。」あるいは「お願いですから静かにして下さい。」と言い、同女を洗面所の床の上に押し倒し、その両肩付近を両手で押えつけてからもなお「静かにして下さい。」と言つた旨供述し、いずれも丁寧で懇願的な言葉遣いをしているうえ、被告人が右ナイフを取り出して同女を脅し、静かにさせようとするまで一貫して脅迫的言辞を用いていないところであるが、これらは、強取を決意した者の取る行動としては不自然というほかはなく、強盗ないし強盗殺人の犯意を認める右各供述調書には、この意味においても疑問の余地があるといわなければならない(逆に、被告人の当公判廷における「静かにしてもらつて謝ろうと思い、被害者の両肩を掴んでA方廊下に上がり込んだ」旨の供述と調和するものであるといえよう。)。

(三) 被告人の捜査段階での供述をみると、強盗ないし強盗殺人の犯意について、捜査の当初においては、被害者に謝ろうと思つて同女を廊下の奥に押して行き、同女が廊下に倒れてからも警察を呼ぶなどと言つて大声を出し続けたため、ナイフで脅そうとしたが、逆にナイフを握つている被告人の手を掴んで「反対にあんたを殺してやる」などと大声で言いながら被告人の顔に近付けてきたので、いくら頼んでも許してくれないと思い、このまま逃げても顔を見られているから捕まつてしまうので、殺してしまおうと決めた旨述べ(被告人の昭和59年10月28日付、同月30日付各供述調書)、次いで、右の犯意を認める旨の前記供述に変わり(前記三、2)、右の犯意を認めた後、捜査官の居直り強盗ではないかとの追及に対して、その翌日に居直り強盗を認めたことがあつたが、更に追及されすぐにこれを撤回して右の犯意を認める供述に戻り(証人Gの当公判廷における供述)、最後に当公判廷において、前記のように供述をするに至つたが、被告人のこれらの供述の変転の理由については合理的な説明がなされておらず、このような供述内容の変転及び被告人が当公判廷において供述するところや右G証言に照らすと、右犯意を認める前記各供述調書の内容は、被告人が捜査官の追及に迎合して供述した疑いを否定できない。

3  これに対し、被告人の右公判供述は、被告人の公判廷での真摯な供述態度と相まつて、次のようなこれを裏付けるといつてもよい証拠なども存し、右供述調書の内容と対比して、右公判供述を、弁解のための弁解として、その信用性を否定し去ることはできないと言わざるを得ない。

(一) 被告人は、公判廷において前記のとおり、被告人が右ナイフを手にした際の状況について、被害者が被告人のジーパンの後ろポケツトの中に入れていたナイフを、その刃先を上向きにして両手で握り、被告人の方に突き付けてきたので、右手で被害者の両手とナイフの中間を掴み、更に左手を同女の両手に添えて同女と右ナイフをめぐつて揉み合つた挙句、同女から右ナイフを取り上げた旨供述しているところであるが、右の供述は、前記各鑑定書や前記C及びD証人らの各証言により認められる、被告人の右手に形成された前記3個の傷の成因に関する事実とよく符合し、あるいはこれによつて裏付けられているとみることができる。

(二) 次に、前記当裁判所の検証調書によれば、被告人の供述するとおり、被告人が被害者の上に折り重なるようにして倒れた場合、被告人の下になつた被害者は、被告人のジーパンの後ろポケツトに入つたままの、あるいは右ポケツトからその付近に落ちたナイフを見つけてこれをその右手あるいは左手で掴み取ることも容易であることが認められ、被告人が当公判廷で供述するとおり、先に起き上がつていた被害者が被告人より先に右ナイフを両手で握ることも十分可能であつて、この点も被告人の右公判供述の信用性を評価するに当たつて考慮されなければならないところである。

(三) 被告人は、捜査段階において一貫して、被害者を洗面所の床に押し倒した後、同女を静かにさせようとしてジーパンの後ろポケツトから取り出したナイフを同女に突き付けようとしたところ、同女が両手で、右ナイフを持つた被告人の右手を掴んで、被告人の方に押し上げた旨供述しているところ、その際の被害者の発した言葉の内容について、当初「同女は『泥棒なんかに殺されてたまるか。反対にあんたを殺してやる』と言つた。」と供述(司法警察員に対する昭和59年10月29日付供述調書)していたが、同年11月5日以降に作成された司法警察員及び検察官に対する各供述調書においては「同女は『泥棒なんかに殺されてたまるか。反対にあんたを。』と言つたが、『反対にあんたを』の後の言葉は聞きとれなかつた。」旨供述を変えているところである。被告人は、右供述を変えた理由について、当公判廷において「刑事さんから『被害者がそのようなことを言うはずがない。ナイフを持つているのは被告人なのだから、被害者がそんな強気なことを言うはずがないじやないか。反対に被害者がナイフを持つているのなら強気になつてそんな言葉を使うかもしれない』と言われて、初めて自己の供述の矛盾に気付き、ナイフを先に手にしたのは被害者であることは隠すことに決めていたのでまずいと思つて、『反対に』の後は聞こえなかつたと供述を訂正した。」旨供述しているが、右各供述記載内容自体及び被告人が右手の前記3個の傷がナイフによつて形成されたことを捜査段階において隠しておいたこと(これは動かし難い事実である)などに照らし、右公判供述部分の信用性を否定することはできない。

(四) 右(一)ないし(三)の事情に徴すれば、被告人の当公判廷における「被告人が被害者と共に洗面所の床上に倒れた後、先に起き上がつた同女から被告人がジーパンの後ろポケツトに入れていたナイフを突き付けられて同女と揉み合つた挙句、同女から右ナイフを取り上げた」旨の供述は、これを措信できないものとして排斥することは許されないところであり、更に、右供述部分と相前後し、密接に関連しているその前後の供述部分も、これを信用できないとする特段の事情が窺われない以上、その信用性も否定し難いというほかなく、かえつて、前記のとおり、被告人が捜査及び公判を通じ一貫して被害者に対し懇願的な言葉を用いていること(これが被告人の当公判供述と調和することは前記のとおりである。)は、被告人の右供述を裏付けているとさえいい得るであろう。

(五) また、被告人が本件犯行においてとつた行動の中には、一見すると不自然、不可解な行動と目すべき点が散見されるところであるが、少年調査記録中の被告人の鑑別所における鑑別結果によれば、被告人の性格等は、社会的な枠組みとか規範に従つて行動しようとする構えが強いものの、安定した行動を示そうとするあまり、社会との関係で緊張を感じやすい傾向にあつて、内面では自己の欲求や感情を抑圧していることが多く、いわば過剰適応の状態を生じやすいため、問題場面に遭遇すると、社会的な枠組みを背景とした自己の準拠枠に固執してしまい、臨機応変に解決していくことができないことから、その行動は一層紋切り型のものになりやすく、状況の変化に柔軟に対応できない性格的な硬さを示しやすいというものであつて、また、表面的に安定した行動を示す割には、内面にある自己の感情や衝動を適切に統制し、社会的に安定した行動を維持していくだけの人格的成熟はできていない面も見られ、そのため強い情緒刺激が与えられるなどの危機的場面では混乱してしまい、前後のことも考えないで行動してしまうといつた自己統制力の弱さを示すことがあるというものであつて、このような鑑別結果に現われた被告人の性格や資質上の問題点に徴すると、被告人が当公判供述において供述する被告人のとつた行動、とりわけ被告人が玄関先に至つた際、思いもかけず屋内から電話の受話器を置く音がして金縛りの状態になつて逃げるにも逃げられず、被害者から「あんた泥棒ね」と言われて後先のことも考えずに、ただ静かにしてもらつてから謝ろうとして土足のまま同女方玄関に上がり込んだことや被告人から逃げようとして暴れる被害者を押えようとして右手に持つたナイフが同女の左背部に突き刺さつたため同女が非鳴を上げるや、他に取り得る方法もあつたのに、逆上して無我夢中でナイフで同女の身体の枢要部をめつた突きしたことなども、いわば危機的場面に直面して狼狽し、状況の変化に柔軟に対応できず、しかも自己統制力を失つた結果の行動として理解することが可能であるということができる。

四  以上のとおり、被告人の強盗ないし強盗殺人の犯意を認める被告人の前記各供述調書はにわかに措信できないのに対し、被告人の公判供述を信用できないとして積極的に排除すべき事情が見当たらないところであつて、その信用性を否定できない右公判供述とその他の関係証拠を総合すると、判示第一、第二のとおり認定せざるを得ないところである。

(罰条)

第一の事実 刑法199条

第二の事実 刑法235条

(保護処分を相当とする理由)

被告人は、大分県大分郡○○町において、警察に勤務する父Mと教師をしている母T子の長男(他に姉一人)として出生し、両親が共働きをしていたため出生直後から小学校4年生まで日中は近所の家庭に預けられて養育され、幼少時から1人で遊びながら親の帰りを待つという孤独な、しかも家庭内ではほとんど会話のない親子間の愛情交流の乏しい生活を送る一方、母親が教育者であつたため両親の強い指導もあつて幼少時からいわゆる良い子あるいは模範生徒として通し、中学時代は学業成績も一応上位で、学級会やクラブ活動にもある程度積極的に参加するなどしていたが、高校入試に失敗し、1年間受験浪人をした後、昭和59年4月大分市内のいわゆる有名高校に進学したものの、学業成績は下降するばかりで入部した野球部でも余り高い評価を受けていないという状況にあつて、何とか努力を重ねて勉学も野球も両立させようとしたものの、同年7月ころからそれまで時折していた頭痛が激しくなり、そのため同年夏休み終りころには勉強もほとんどできない状態になつて、遂に同年9月初めころから頭痛のする日にはしばしば学校を休んでは、海岸近くの貯木場でナイフで木を削つたりなどして気を紛すようになり、右怠学の事実を父親に何度も打ち明けようとしてそれもできずに悩みながらも、これからは頭痛がしても学校を休むまいと決心していた矢先、本件犯行を惹起するに至つたものである。

本件は、前記認定のように、白昼、ゲーム代欲しさに盗みの目的で人家に侵入しようとしたところ、その家の主婦に気付かれ詰問されたことから、これを他人に知られることを恐れ右主婦に静かにしてもらおうとして同女方に上がり込み、同女と揉み合ううち所携のナイフで同女をめつた突きするなどして殺害した後金品を窃取したというもので、被害者側には全く落度が認められない、正に通り魔的犯行であると評せざるを得ず、生じた結果が極めて重大であることは言うまでもなく、その犯行の態様も執拗かつ残忍極まりないものであつて、これが法秩序並びに社会一般に与えた甚大な影響は無視し得ないところであり、ことに夫と成長途上の幼い娘2人を残して非業の死を遂げねばならなかつた被害者の無念はもとより、最愛の妻、母を無残にも殺害されたその遺族の衝撃や悲嘆にも察するに余りあるものがあり、その処罰感情も極めて強いことに鑑みると、この際被告人を刑事処分に付してその罪責を問うことも十分考えられるところである。

しかしながら、更に本件を考察すると、前記第一の犯罪行為の遂行過程において、被害者方に侵入しようとして同女に気付かれてから、同女を殺害するに至るまでの被告人の行為を動機付けた要因となつている被告人の性格等を、被告人の罪責を考慮するうえにおいて軽視することはできないであろう。すなわち、本件は、もともと大分家庭裁判所から強盗殺人を非行事実として検察官送致となり、同罪によつて起訴されたものであるが、前説示のとおり、本件は殺人と窃盗の併合罪であると認めざるを得ないところ、被告人の本件犯行における行動をつぶさに見ると、前記認定のとおり、被告人には、その素質、性格面において、心理的、状況的危機場面に直面した際、社会的な枠組みや規範に従つて行動しようとするいかにも模範生徒的な行動志向は極めて強いものの、内面にある自己の感情や衝動を適切に統制し、状況の変化に柔軟に対応するという社会的に安定した行動を維持してゆくだけの人格的成熟さに欠けていたために、本件においても精神的に混乱してしまつて自己統制力を失い、前後のことも考えずに、衝動に駆られて行動した挙句、遂には貴重な生命を失わせるという重大な結果を惹起するに至つたものである。このような本件事案の具体的特殊性を考慮するとき、危機的場面に遭遇した場合、かかる重大犯罪を誘発する可能性を内蔵する被告人の性格等については強い嬌正の必要性を認めなければならないけれども、被告人が犯行当時満17歳をようやく出たばかりの少年であつて、心神ともにいまだ未熟であり、かつ、これまでに何らの非行歴や特段の問題行動も存しないことその他被告人の平素の行状と合わせ考えると、被告人の前記認定の犯行を目して直ちにその強い反社会性の表現と見ることは、妥当とは言い難く、また被害者の殺害という極めて重大な結果を引き起こすに至つたことについては、被害者が転倒した際に被告人の所持していたナイフをたまたま目にしたという事情が存することも否定し難く、被告人の本件犯行全体が、被告人の前記性格等を背景に置きつつ、多分に右犯行時における状況的要因によつても左右された面も認められるところであつて、本件は偶発的一過性の犯行と認めるのが相当である。以上の諸事情に加え、本件未決勾留日数は既に約2年3か月を超えて相当長期に達しているうえ、家庭裁判所、検察庁を経て当裁判所の審理を受けるに及び、被告人は本件犯行を深く反省し、改悛の情が顕著であつて、未だ社会的不適応傾向や非行性の固定化は認められず、知力、学力とも普通域にあり、社会的知識も身に付けており、可塑性に富む年齢であること、被告人の両親は本件犯行後いずれもその職を辞し、その退職金等によつて工面した3500万円の慰謝料を右遺族に支払つたうえ、被害者の遺牌を作り毎月その命日には経を上げてその菩提を弔うなど誠心誠意を示していることなどの証拠にあらわれた事情を考慮すると、被告人に対しては、刑事処分をもつて臨むよりも保護処分により矯正施設に収容して、自己の惹起した重大な結果に対し、社会的、道義的責任を強く自覚させるとともに、被告人の前記性格等における問題面を矯正し、将来有為な社会人として更生させることが少年法の精神に照らし相当であると認められる。

そこで、少年法55条により本件を大分家庭裁判所に移送することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 寺坂博 裁判官 松尾昭一 川野雅樹)

〔参考〕 受移送審(大分家 昭62(少)195号 昭62.3.18決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

押収してある黒色布製バンド巻きつけのナイフ1丁(昭和62年押第25号符号1)を没取する。

理由

(非行事実)

大分地方裁判所作成の昭和62年3月5日付決定記載の犯罪事実と同一であるから(但し、「被告人」とあるを「少年」、「肥後ナイフ(昭和60年押第25号の1)」とあるを「肥後ナイフ(昭和62年押第25号符号1)」とする。)、これをここに引用する。

(適条)

刑法199条、235条

(処遇事由)

1 少年は、両親が共働きであつたことから出生直後より幼稚園入園時まで、「一人息子だから大事に育てたい。」との両親の願望も反映して近所の夫婦共元教師の家庭に昼間預けられ、父が警察職員、母が中学校の教諭という立場から来る自負もあつて、預託先でも自己の家庭においても常に「良い子」として振舞うよう要求され、少年もこれに応えるべく行動を制御していた。しかし、少年は、預託先においても、両親からも十分な真の愛情を受けていなかつたようで、幼少時よりずつと一人で遊びながら親の帰宅を待つという孤独な生活を送り、小学校に入学後、隣のボーリング業の家庭に預けられるようになつてからは預託先の方が居心地がよいといつて帰宅を渋り、母とは話さず専ら預託先の主婦と話をする状況で、家庭内においては殆ど会話もなく親子間の愛情交流は極めて貧困で、小学5・6年生頃から、神経質で几帳面な仕事一途の父から次第に距離を置くようになり、自己の感情を抑圧し献身的で病弱な母に対し心配をかけてはいけないと思い、親に甘えたいとの気持を抑え、親の愛情を求めることを諦め、狭い自己だけの生活空間の中で生活しようとする姿勢を強めていた。

2 少年は、中学生になつたら思いきりやりたいと思つていたが、母が同じ中学校の教師をしていたため、今まで以上に「模範生徒」として振舞うように求められ、小学生時代同様自己の欲望や感情を表面に出すまいと決心しそのとおり行動した。少年は、学業成績も一応上位で学級会やクラブ活動にも積極的に参加するなどし、友人も少なくはなかつたが、対人関係では適当な距離を置いて接し、決して自己の内面を他にさらけ出すようなことをせず、表面的にしか係わらないため、親友は殆どできず自己の悩みを打明けることのできる友人はなかつた。少年は、高校進学について、自己の能力相応の近くの高校に進学しスポーツに励みたいと思い、自己の希望を母に伝えたが、両親は少年の進学先について小学5・6年生頃から大分市地区の合同選抜校と決めていたことから、「大分の合同選抜校一本にしなさい。」と強く言われたため、親の意向のまま無理を承知で受験したが失敗し、受験浪人せざるをえなくなつた。少年は、受験浪人中、性格が変わりかけ内に秘めたものが発散し、恐喝されかけたときカツとなつて反撃したことがあつたが、手を出して悪いことをしたと思い、以後、従前どおり自己の感情を抑えることに努めた。1年間予備校で学び成績が向上したところ、両親は他の有名進学校を目指すよう言い出したが、最初の志望校以外には行かないと決心し、希望どおりの高校に進学することができたものの、学業成績は下降するばかりで、母の勧めで入部した野球部でもさほど高く評価されないという状況が生じ、さらに、中学生時代から断続的にあつた頭痛が頻発するとともに、夏休みの終り頃から殆ど勉強ができなくなり、2学期に入り授業を受けても全く理解できないようになつて初めてずる休みをするようになり、以後、巧妙に言い繕つて再々学校をずる休みするようになつた。

3 少年は、中学校卒業後、親元から開放されたことも加わつて自意識の成長とともに、内面に生じてくる様々の感情や欲求の処理に当つて過去の行動枠との間に疑問を感じ葛藤を深め、心的混乱の状態に陥つたものと考えられる。そして、この混乱に加えて高校生活における学業不振と野球技能の停滞に悩み、9月以降の怠学の事実を親に隠している罪障感にさいなまれ、今まで営々として作り上げてきた自己像が崩壊し散逸しかかつた状態となつて、強い挫折感に陥つて学校不適応を起こし、将来に対する深い不安感を抱くようになり、さらに、心因性と思われる頑固な頭痛が生じたことで一時的にも不安と苦痛の状態から逃れようとしてゲームに熱中するのがよいと考え、そのゲーム代欲しさに本件非行に至つたもので、少年の過去のまじめな生活状態から予想だにできない極めて短絡的で視野の狭い行動に走つてしまつたものと考えられる。このようにして非行を開始した少年ではあるが、非行の過程で被害者に発見され、同人から厳しく詰問されたことで、自己の非行が露呈してしまうことを恐れ、結果として被害者を殺害するという行動へ発展したもので、そこには、幼少時から社会的評価を重んじる教育を受けてきた少年だけに、自己の非行が露呈することへの恐怖と自己保身の衝動とが強く働いていたことが十分に予想される。また、「手加減を全くしていない」少年の攻撃的行動は、幼児期から現在まで喧嘩を殆ど経験していなかつたために、危機場面において自己の感情を制御することができなかつた結果であると考えられ、幼少時から豊かな愛情生活を経験していないために生じた情緒面の成熟の遅れのあることが窺われる。

4 少年のこれまでの非行歴や特段の問題行動のない生活態度から考えれば、今回の非行はいわば急性非行であり、非行内容が重大化した背景には少年の性格面の問題が関係しているものの、かなり状況的要因が存在しており、非行内容が示すほどには少年の有する非行性は大きいものではないと考えられる。少年は、セルフコントロールが極めて厳しいため、自己の欲求や感情をかなり抑圧しており、社会的場面では精神的緊張とともにそれに伴う疲労があり、規範に忠実であろうとするあまり、危機的場面においては臨機応変の柔軟な対応がとれず、性格面の固さとあいまつて時には心因性の不適応を生じるおそれがあると考えられる。少年は、非行時には17歳の若さで、検察官送致決定後約2年3ヶ月もの間長く未決勾留されているが、その間、対人接触のない毎日であつたため、単に自己の行動に関する問題点を深く反省し、被害者の冥福を祈るといつた生活を続けているだけで、社会生活上の柔軟性ある態度・行動を取る訓練とか、集団の中で他人と交わつて共に喜び、悲しむといつた共感的体験もなく、性格面の問題点を改善するため教育の必要性は依然として残つている。

5 少年の両親は、本件後いずれも勤務先を退職し、各自の退職金の残部と、居住する土地・家屋を担保にして借金したのを合わせた3、500万円の慰謝料を被害者の遺族に支払い、さらに、被害者の位牌を作り毎月の命日には経を上げてその冥福を祈り続けているなど誠心誠意を尽くして償つている。

6 そこで、この際、少年を中等少年院に送致し、相当期間矯正教育を施し、集団生活の中で、自己の自然な姿を表現させ、対人関係に深く係わりを持たせ、物事に対し自発的で柔軟な対応を行わせるなどして社会性を養うことが肝要である。そして、その間、両親に対し、社会的評価にこだわり、少年に対し十分な愛情を注がなかつたことを理解させ、親子関係を愛情中心としたものに改善することが必要である。

よつて、押収してある黒色布製バンド巻きつけのナイフ1丁(昭和62年押第25号符号1)は、本件非行の用に供したもので少年以外のものの所有に属ないものであるから、これを没取することとし、少年法24条1項3号、24条の2第1項2号、2項、少年審判規則37条1項を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 河原畑亮一)

訂正

第39巻8号少年関係裁判例

75頁目次24番の判事項の1行目

95頁24番の裁判事項の1行目

に「13歳の女子少年」とあるのを

「14歳の女子少年」と訂正する。

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